クロモリ迷走記

クロモリのCOLNAGO MASTERと、PANASONIC FRCD05に乗っています。カーボンのGIANT TCRと、アルミのGIANT REVOLTも持っています。

尾根幹〜道志みち〜山伏隧道〜文化洞隧道〜宇乃岬隧道〜青木ヶ原の廃道〜雛鶴隧道〜大垂水峠ぶらり旅

 今日は、ロングライドのリハビリをかねて、山梨県まで往復自走しました。当初は、クロモリフレームのFRCD05で行く予定でしたが、出発直前に天気予報が変わり、雨に降られることが確定したため、アルミフレームのRevoltに変更しました*1。そこそこ登るコースなので、鉄下駄を履いたグラベルロードを使うことに一抹の不安もありましたが、まあ、何とかなるだろうと(適当)
 まずは、新宿から国道20号甲州街道)に入り、調布から多摩川を渡って、尾根幹で橋本方面を目指します*2。新宿あたりからがっつりと降られたので、mont-bellのU.L.サイクルレインジャケットを装備。ヘルメットの内側でフードをかぶれるのがいいですね。

 橋本から先は、真っ暗な津久井湖を通過し、真っ暗な道志みちを登ります。写真は、山梨県境で撮った1枚(以下)しかないのですが、道沿いの夜桜が綺麗でした。

 道の駅どうしの手前で夜が明けて、車やオートバイも増えてきました*3。気温が低かったので、道の駅の自動販売機でホットミルクティーを補給。


 そのまま道志みちをピークまで登って、山伏トンネル(標高1100m)に到着。以下は、道志側の写真。

 今回の最初の目的地は、山伏トンネルの山中湖側に残る旧隧道です。早速、写真で車が停められている脇道に入っていきます*4

 すぐに山伏隧道とご対面。1932(昭和7)年竣工、延長125m、幅員2.9m、高さ3mで、1982(昭和57)年3月に山伏トンネルの竣工にともなって廃止されたそうです*5。隧道の中は恐らく私有地なので、外から眺めるだけにしましょう。


 ついでに、反対側(道志側)も探索してみましょう。こちら側の坑口は見つけられませんでしたが、部分的に存在する舗装と、微かに残るセンターラインの跡がグッときます。


 山伏隧道を堪能したら、山中湖方面に一気に降ります。気温5度で、小雨もちらついているため、結構寒いです。。。*6

 山中湖まで降りたら、そのまま河口湖方面に進んで、河口湖と西湖の中間にある文化洞トンネルへ。以下は、西湖側の写真。現在のトンネルの右上に旧隧道(文化洞隧道)が見えていて、そこまで続く道も残っています。文化洞隧道は、1916(大正5)年、または1921(大正10)年竣工、延長180m、幅員4.5mで、1994(平成6)年に現・文化洞トンネルの竣工にともなって廃止されたそうです*7



 旧道の方が現道よりも高い位置にあるため、西湖がよく見えます。「隧道を抜けた先の景色」としては、旧道が上のように感じます。

 事前情報では「東側坑口は藪に埋もれている」ということでしたが、河口湖側の斜面(登山道の入口)を登ると、普通に坑口が残されていました。



 東側の坑口を発見して満足したら、西湖の北側を抜け、青木ヶ原樹海を通って、精進湖に向かいます。青木ヶ原樹海には良くないイメージもあるかも知れませんが、私は結構好きです。


 精進湖に行く目的は、湖の西側にある宇の岬トンネルの旧道です。まずは、南側の分岐(赤い三角コーンがあるところ)を入ると、すぐに旧隧道(宇乃岬隧道)があります*8。1954(昭和29)年竣工で、1989(平成元)年3月に宇の岬トンネルの竣工にともなって廃止されたそうです*9


 続いて、北側にある分岐に入っていきます。こちらの方が廃道感があって、いいですね。


 奥に進んでいくと、旧隧道があります。個人的に、すでに使われていない道路標識がとても好きです。


 こんなところに彫られた「宇乃岬」の文字、かっこいいです。

 南北から旧隧道を楽しんだら、富士吉田方面に戻っていきます。富士五湖エリアはいつも東から西に走っていて、西から東に走ったことが殆どありません。いつもと違う向きで走ると、新しい発見があるもので、、、青木ヶ原大橋のすぐ横に廃道がありました!

 たまたま(?)ガードレールでしか区切られていない区間で気がついたので、サクッと廃道側へ。この廃道は、結構長いです*10。ただし、明らかに道が斜めになっていて、崖側が下がっているので、若干ドキドキします(苦笑)



 また、登山や林業の人が通るのか(?)、現道からの分岐が封鎖されておらず、普通に入ることができます。予想外に素敵な道を発見することができました。

 そして、富士吉田まで切り返したら、国道139号を大月方面に降っていきます。今回は途中で県道35号に入って、雛鶴峠を目指します。実は雛鶴峠に行くのは初めてなのですが、たまたま桜の時期だったこともあり、峠に向かう景色が綺麗でした。なお、「花より隧道」という性格なので、桜の写真はなし(笑) 峠の西側、ピークの直前にある分岐(以下)から旧道に入ります。

 現在は法面工事で通行止めのようですが、たまたま訪問したときは休工中で、通行止めの看板も道の脇に寝かされていた(倒れていた?)ので、その場に自転車を置いて、徒歩で入ってみました。


 あっ。。。たしかに、法面を工事した方が良さそうですね(苦笑)

 旧雛鶴隧道に到着。1934(昭和9)竣工、延長252m、高さ3.5mで、1986(昭和61)年に現・山伏トンネルの竣工にともなって廃止されたそうです*11。積もった土砂、ひしゃげた標識、もはや存在意義を失った「都留市」の看板。全てが美しいです。私は内部に入りませんでしたが、奥の方は素掘りになっているようです



 旧道を引き返し、現道に戻ったら、新雛鶴隧道を通過。

 峠を越えたら、反対側の旧道から、旧雛鶴隧道を再び目指します。こちら側は普通にゲートも開いていました。路面や法面も、この手の道としては綺麗な方です。

 旧隧道に到着。全体的に苔むしているせいか、反対側とだいぶ雰囲気が違いますね。なお、旧隧道は現トンネルよりもだいぶ高いところにあります。隧道を掘る距離を短くするためかと思いますが、往時の山越えの苦労が偲ばれます。

 また、こちら側は、登山道の入口になっているようです。向こう側がほぼ廃道状態なのに、こちら側が綺麗に整備されているのは、そういうことなのかも知れません。

 このあたりには林道や旧道が多く、グラベルも多いので、立ち寄りたい場所がまだまだあります。ただ、明日は仕事ですし、そろそろ帰路につかないといけません。雛鶴峠からだと、甲州街道を使うのが最も距離が短いと思いますが、もう1ヶ所だけ寄り道をしていきましょう(おい)

 この青看板から旧道や廃道を感じられる人とは、お友達になれそうです(冗談) 甲州街道で東京に入るには大垂水峠を越えないといけませんが、その旧道の入口を見てみたかったのです*12。この地域の人達は不法投棄に強い危機感を持っている印象なので、詳しい場所は書きませんが、調べればすぐに分かるでしょう*13。下記の写真が旧甲州街道(明治新道)の入口です。それほどやる気のない感じの「全面通行止」看板ですし、この先に「危険ですので通行しないようにして下さい。尚、やむを得なく通行する場合は、十分注意してください。」(下線は引用者)という標識もあると聞きますが、、、道がだいぶ崩れているようですし、峠側の出口が私有地で通行できないので、この入口で引き返しましょう。

 現道に戻ったら、普通に大垂水峠を越えて、都内の自宅まで帰りました。

 本日の走行距離は286.82km、獲得標高は3266mでした。300kmには少し足りませんが、鉄下駄グラベルなので、ある程度はリハビリになったことを期待します(笑) なお、今回の旅にあたって、特に参考になったウェブサイトは、以下のとおりです。

*1:カーボンフレームのTCRは、現在ショップに入院中。

*2:野猿街道を使った方が若干獲得標高を抑えられると思いますが、面倒なので尾根幹(笑)

*3:未明の真っ暗な道志みちで別の自転車乗りの方と出会ったのですが、暗闇のロードバイクはやはり異様ですね(今更/苦笑)

*4:この車はどうして止まっているのでしょう? ドライバーさん達は、この敷地の人には見えませんでしたが。

*5:こちらの記事を参照。

*6:冬用のインナーと、多少の防寒機能もあるレインウェアを着てきてよかったです。

*7:こちらの記事を参照。

*8:現道からも、ちらっと見えます。

*9:こちらの記事を参照。なお、この廃隧道の上に室町時代の道が通っていたようです。

*10:この動画を見ると、全貌が分かります。

*11:こちらの記事を参照。

*12:私がこの入口の存在を知ったのは、石井あつこさんの『廃道を歩くー地図で楽しむ「忘れられた道」』洋泉社、2018年)です。残念ながら現在絶版ですが、この本によると、この旧道は明治21年から明治30年代まで使われていたようです。

*13:単に不当投棄禁止の看板が多いだけでなく、崖の下や竹藪の中に不法投棄されていないかを確認している地元の方がいて、穏やかな口調ながら余所者(=私)に「どこに行くのか?」と質問してきました。山中の旧道や廃道が封鎖されている大きな理由は、不当投棄だったり、暴走族だったりするんですよね。。。